社会とは何なのか。26才の今考えている自分の居場所の探し方。

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考え方
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社会とは、一体なんなのだろう。

小、中、高、大と学校で過ごして、会社に入って、都会の生活がいやになって田舎に行ってみたけれど、どこにいても箱の中にいるようだった。

だんだん息苦しくなって、1〜2年でそこから離れたくなった。

でも楽しいこともあった。

自分が一緒にいて楽しい友達を見つけて、居心地のいい自分の居場所を見つけて、誰かと笑ったり共感したりすることはとても楽しかった。それらはきらきらした思い出として残ってる。

だから、1・2年してだんだん箱の中にいる気分になってしまうと、また次のきらきらを求めてしまうのだ。

そんな風に漂っている中で旦那と出会い、この人といればこれからも楽しいし、ちゃんと向き合ったり、支え合っていけると思ったから結婚した。

しかし結婚してみると、今度は家族や親戚という身近な存在が社会なんだと気づいた。

親はいろんなことに口うるさく言ってくる。自分の子供が心配だから、言ってくるのだ。親戚もそうだ。

でも、本当に子供の幸せを願っているのなら、どうして子供の選択を尊重しないのだろう。

例えば、学校にいきたくないと引きこもる子供に対して、今後社会で生きていけなくなってしまうのではと心配し、学校に行くようにどうにかあれこれ画策する。

どうして子供がどうしたいかとか、何を思っているのかまず聞かないのだろう。

あれをすれば、これをすればと提案する前に、本人がどうしたいのかどうして聞かないのだろう。

寄り添ってくれたり、味方でいてくれるだけで、一旦立ち止まって、違う世界に目が向けられるかもしれないのに。

きっとその学校という社会が合わなかっただけなのに、どうしてそこでダメだったら他でもだめだと追い込んでしまうのだろう。

だから家族というのも一つの社会なのだ。親の価値観を反映した社会だ。

その親の価値観もそのまた親や世間から反映されたものだ。

だから私は、今までは親にどうして理解してくれないんだと悲しんでばかりいたが、親は親の考え方、私は私の考え方があるんだ、だからもう言い争うのはやめようと思った。

26才にして初めて気づいたことだった。

これは多分、旦那と出会って新しい家族として自分たちの社会ができたということがきっかけだ。

今までは自分の絶対的な居場所は血の繋がった家族だったから、理解してくれないことに対してものすごい言い争っていた。じゃないと自分の居場所がないと思ってしまっていた。

でも、その言い争いにも疲れて自立して1人で暮らしてみて、自分の居場所を探してみたのだ。

そしたら同じ考えの人を見つけて、自分の居場所を見つけることができた。(時間が経ってお互いの考え方が変わって、それを認め合えなくなったら一緒にいれなくなってしまうんだと思うけど)

だから私の中で家族という一番身近な社会の問題は一旦解決した、と思っている。

そして次の問題は、仕事である。

冒頭にも書いたが、今まで私は、学校・会社・地域というそれぞれの価値観を反映した場所にいると、だんだん苦しくなってしまった。それより細かい分類のバイトや部活やサークルでもそうだ。

きっと学校とか会社とか宗教とか、何かのファンとか、何かの集団は、その時に同じ考えの人たちの集まりなのだ。

全員まるっきり同じという訳ではないし、それぞれいろんな背景があってそこを選んだのかもしれないが、その集まりというのは同じ意識のようなものの集まりだと思う。

だからだんだん考えが変わってくると、最初はその集まりと同じ意識でそこにいても、そのうち「あ、違う」と感じ始めてしまうのだ。

だから私は、どうせ時間が経って考えが変わって次へ次へ探していかないといけないのなら、時間とともに自分の考えが変わっても反映し続けられるブログを始めた。

これでお金を稼げれば自由に考えを変えながら自分らしくいられると思った。

でもそんな簡単に自分の考えに賛同してくれる人たちが見つかって、アクセス数が伸びるわけじゃない。

実際にお金を稼ぐにはやり方があって、アクセス数を増やす方法とかノウハウがいろいろとある。

お金は欲しいから、よしじゃあそれに従ってやってみよう、と思って毎日いろんな人のやり方を調べて、時間をかけて書いた。

でも、アクセス数を増やすための書き方は全然楽しくなかった。

しかも私は大して知識もないのに、アクセスを集めたいがために書いた記事は間違いだらけで批判されたりした。ネットで顔も知らない人たちから批判されたのは初めてで、ここでも居場所がないのかと傷ついた。

そして、「ああここにも社会があったんだ」と気づいた。

ブログをする人たちのそれぞれの価値観があって、そのノウハウがあったり、ある分野の記事をクリックする人たちがいて、そこに社会がある。

私は考えたことをつらつら書いているエッセイみたいなブログが好きだが、そういう考えを書くだけの人のTwitterのフォロワー数より、もっとノウハウや情報提供をしている人の方がフォロワーが圧倒的に多い。そしてその役に立つ情報がある上で、エッセイのような記事もアクセス数が伸びるというような感じ。

私は自分の考えを書いて、ただ、共感してくれる同じ考えの人を見つけたかったのだ。

今までの人生でそれぞれの社会の中で同じ考えの人を見つけてきたように、ブログという社会の中で同じ考えの人を見つけたかったんだと思う。

だからお金を稼ぎたいなら、ブログは趣味として書いて、お金を稼ぐなら仕事を探すしかないと気づいた。(本当にブログだけやりたいと思うのならきっとそのノウハウも死ぬ気でやるはず)

それに気づいて、「ああお金を稼ぐためには、また社会に入っていかないといけないのか」と思ってしまった。

きっと探せば、今までとは違う新しい会社に入れるのかもしれない。でもまた1〜2年したら違うところへ行きたくなるんだろうな、と。

平日夜の駅で仕事帰りに会社の人たちと飲んで帰る人たちを見て、「私はまたあの中で過ごせるかな。新しい出会いがあって楽しいかもしれないけれど、きっとそこがまた箱の中みたいに思えてくるんだろうな」と思った。

そうやって繰り返していれば、そのうち自分の社会での確固たる場所が見つけられるのだろうか。人生が終わる時に、その場所で幸せだったと思えるのだろうか。私は子供が同じ悩みにぶつかった時、社会でのあり方を教えてあげられることができるのだろうか。

きっと私が今みている世界より、いろんな社会があるのかもしれない。

今までやってきたように、1つずつ経験して、また試行錯誤していくしかなんだろうな。そうやって続けていくしかない。

他にやり方があるなら、誰か教えて欲しい。

今までも何回も挫折して立ち止まってしまったけど、まだ次がある、次があると動いてきた。

そうやって、絶望した後に喜びがあって、それをずっとずっと続けていればより自分らしい場所にいるのかな。

過去には戻りたくないし、昔の自分より今の自分が一番経験を積んでるから戻りたいとは思わないけど、そうやってだんだん良くなっていくのかな。

いつかまたもう居場所がないって絶望したとき、また次へ動き出すことができるかな。

支えてくれるのはいつも周りの人だったな。

私は周りの人たちをそうやって支えてあげられるかな。

未来の私はなんて答えるのかな。

 

おわり

 

 

 

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